暇な時に書くblog

50代独女仕事辞めて移住しちゃったblog

北方民族とアイヌの刺繍

 サハの刺繍

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「サハ共和国」の刺繍体験に参加してきました!場所はいつもの「北方民族博物館」!講師の方がサハの国についてお話をしてくださった
過去最低温度がマイナス72℃という想像も出来ない位世界一寒い場所らしいです そんな極寒の中で暖かい毛皮で作った被服や靴等に刺繍をする伝統があり受け継がれてきた様です そしてダイヤモンド!ロシア全土で産出するダイヤモンドの99%がサハ共和国産だそうです 刺繍の中にも鉱石が使われたりしてなんかゴージャス この日の講師の先生も耳、首、腕首、指がゴージャスでしたよ! ネックレスと言うのか何というのだあの首からぶら下げている「のれん」の様なアクセサリーは全て銀だと言っていましたが「重くないのだろうか」・・歴史上でのスタイルもかなり重そうな装飾品が多く、重さに耐えなければならなかったとは言ってましたから当たり前の事なんんでしょう

参加していた人が皆「日本に生まれて良かった」と言っていた( ´艸`)  

 北方圏の刺繍って本当に可愛いいんですよね 私も可愛い刺繍がしたいなんてちょっとでも思った事を後悔するのですが、そもそも縫物苦手で糸通らなし投げ出したいわ!って思っていても今回の刺繍は「お守り」だったんです。いつもはコースターらしいのですが「このお守りは一針一針願いを込めて刺繍し出来上がったら壁に貼るんですよ途中で投げ出しては願いは叶いませんから頑張って下さいね」とか言われたらさーーーーー最後迄やるしかないよね・・とほぼ大半の人は時間内に終わらなくて家に持ち帰りました

 

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下手過ぎて載せたくはありませんが・・・記念に・・・ボコッボコ( ´艸`)

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刺繍する糸の色に意味があるそうで、赤は自分 青は空や空気 白は神様 黄色は幸福 緑は若さや復活を意味するらしく、自分が好きな色でデザインして下さいと言われ刺繍糸は3色と決めれらていたので「青い空や空気に囲まれている自分を神様が守ってくれている」イメージで作りました。でも最後まで作らないと・・・上の画像はまだ途中で黄緑のフェルトを重ねて周りをステッチして終わり(もうやりたくないーーー)  

ウィルタの刺繍 

北方圏はその国々で刺繍のデザインが違う様です

ウィルタの刺繍 丸みがありますね 角を尖らせないのが特徴

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(写真 北方民族博物館)

戦後、網走に移住したウイルタの人々が居て網走にウイルタ刺繍の技術を伝え今現在もサハ刺繍と同じく講座がひらかれています (気になるけど出来ないな~( ´艸`)

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ウィルタ民族

 

ちなみにオホーツク人となった人達は「ニブフ」古くは「ギリヤーック」と呼ばれていた人達です アイヌのDNAの中にニブフと同じ染色体がある様です

ニブフの刺繍ってあるのかな?あまり見たこと無いような また次回の宿題です

 アイヌの刺繍と文化の伝承

アイヌの刺繍は角がありますね

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アイヌも樺太アイヌ 北海道アイヌ 千島アイヌが居て樺太アイヌはもう北方民族の文様に似た感じの物も見受けられるし・・・どうなんでしょ誰か教えて( ´艸`)

私の父はアイヌ保存協会の会員でアイヌ刺繍も教えられる資格を持っているのですが(こんなんで教えていいのかレベルですが一応公認)その父に色々聞いても多分答えられないのではないかと思うので父に勉強してもらおう!(ズルぃ(;'∀'))

そんな父が先日網走に来た時に一緒に行った北方民族博物館のゴザを見て「これ作った」と言っていたので少しご紹介

 

北方民族博物館に展示してあるアイヌのゴザ(キナ)

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水辺に生えるガマって植物を使うんだって 見たことあるよね

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乾燥させて作るらしい

 実際取っている写真ですが、たしか雌を取るって言ってたかな?大変なんだそうだ見つけるのも取るのも穂が無い時期に取るので雌なのか雄なのか分からないとかで

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f:id:ekarin:20190217195846j:plain 父の軽貨物に乗せて・・・( ´艸`)

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干すんだって!

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そして乾燥したら織るんだって! 

下にぶらぶらしている石は、石で代用してるけど本当は違うみたい

 いやー情報が足りなさすぎるでしょ・・・どれ位干すとか石じゃなくて何を使うんだって?黒いのは何だ?染めるのか?何で?とかね

 この織機は置く場所ないからって実家の物置小屋に5台位置いてあったんですが、自分で自分に言うよね「何故やらない?」教えてもらってやれば良いのにね・・実家に行くとそんな事したくなくなる感じ分かります?父も娘に教えるのメンドクサそうだし( ´艸`)まだまだ時間はあるのでゆっくり教えてもらおうかなって高齢部類だけれど元気一杯!とても原始的な生活をしているので100歳迄生きるであろうと勝手に予測しているんですね ある意味自給自足的なアイヌの様な生活をしている気がする そんな父は本州からの移住者には仙人の様に見えるらしくて人気者だよ(^^)たまに人に疲れて電気を消して居留守を使う時もあるらしい(ってくらい人が来る家だよ)家はもちろん北の国からのごろーさんちみたいです(帰ったらキャンプしている気分になるよ) 

ではまた・・

一人旅 in 毛利家のお墓

 

移住する前の平成30年12月、9泊10日でリュックサックひとつで一人旅をしてきた♪ 仕事を辞めて移住する選択をした為、有給が36日も有って消化するには旅と引っ越しで丁度良かったのもあり決行!

広島県~島根県~名古屋~三重県この4県で特に広島県は震災が有りどうしたものかと思い観光協会にお電話したら「来て頂く事がとても有難いし復興協力にもなります」との温かいお返事だったので広島県には4泊滞在で行く事にした。それでも行きたい場所が有りすぎて足りなかったけれど

昨年の10月に取得した「国内旅行業務取扱管理者」勉強の為、青森~沖縄迄の観光地や特産物や歴史等を勉強しているうちにどーーーーーしても行きたくて行きたくてどーしょうもなく行きたい場所が沢山あって絞って行った場所の記録を少しづつ書いていきたいと思います

本州の歴史

私はこれまで本州の古墳~平安~戦国時代~江戸時代~明治時代の歴史は興味は有れどあまり学んでこなかった

戦国武将の名前等は分かるけれどその生い立ちとか何をしたとか曖昧だった
北海道は歴史が浅く「侍」と言えば土方歳三と函館戦争しか触れる事も無く歴史有る建造物が無いからピンと来ないって言う方がいいのかな 修学旅行で京都の神社仏閣は行くのだけれど心が歴史に全く触れていないからお寺の名前しか覚えていないという有様でこの度改めて本州の歴史をお勉強してみたら楽しくて楽しくて調べてばかりで全く勉強が進まなかった 歴史を探っていくと時間が足りなくてもうお手上げだよね 天皇とか出て来たらお手上げだよね~( ´艸`)源氏なんぞの家系図とか見た日にゃ~お手上げだよね 戦国武将達なんか皆親族じゃないかーーーって思うよね( ´艸`)

そんな歴史に触れている中で私が一番気になった戦国武将さんが「毛利元就」とその一族だった~

 

毛利元就のお墓

青森~沖縄迄勉強してきて一番行きたいと思った場所が毛利家のお墓

毛利家のお墓はお城があった安芸高田市の「郡山」にある

広島市のバスセンターから路線バスに乗って約1時間半かかる場所

広島市内から窓を見ていると瓦の屋根の形状が少しずつ変化していくのが分かった

北海道には瓦が無いからめちゃくちゃ珍しいから窓に張り付いて瓦屋根を見ていた

広島市内には昔ながらの瓦屋根と進化したツルンとした瓦屋根とトタン屋根の三種類が

混在していたんだけど安芸高田市という内陸の方へ進んでいくと昔ながらの瓦屋根しか無くてどの家も「武家屋敷」みたいなんですよね その光景が珍しくってずーっと眺めていましたら到着し歩いて10分の所に「安芸高田市歴史民俗博物館」がありました

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安芸高田市歴史民俗博物館

毛利元就が書いた書物とか展示してあるのですが本物だからもう心が張り裂けそうな位感動しますよね(ジャニーズ並か・・・)

 

いざ郡山へ

この日は雨降りで12月だからかお客様も私しか居ない感じで・・・ここから元就が居た郡山城があった山に登るのですが・・ちょっと暗くて雨で私一人って・若干ビビリ

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中年年寄り女一人旅ですからもちろん杖借ります!!

 

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お堀がある道 城下町の名残みたいですが素敵だな~

こんな光景は何度も書きますが北海道には無いからな~

 

途中で元就が荼毘にふされた場所を通過しました 一応お参りしました

 

 

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何て言う山だっけな~( ´艸`) 尼子晴久が毛利を攻めてきた時に尼子側が居た山

あの山から攻めて来るのか~ふぇ~毛利家臣の気分になりしばし時間を費やしました・・・ここを過ぎるといよいよ山へ

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 鳥居をくぐって山道へ中年女が一人・・・誰も居ない山へ一人・・・

ウネウネ細い道を杖ついて歩いていると知らない人達のお墓があったり怖かったりそうでも無かったりしているうちに到着するんですよ

こんな感じで森の中に放り込まれるんですね でも全然怖くない

 

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お墓は撮るものじゃないと思い撮らなかったけど(ホームページには載っている)

森の中にお墓があるのだけれど、物凄いパワースポット!

毛利元就のお墓の他に毛利家一族全部ではないけれど墓碑があった 墓碑を囲う石にしか触れる事が出来なかったですが毛利元就の長男で41歳で急死した(多分アルコール中毒で亡くなったのではないか説に同意)「隆元」のお墓にはしっかり触ってお参りする事が出来ました(隆元だけ違う場所にありましたが)

墓碑は昔から変わらないであろう姿をしていてコケが生えていて時の流れを感じました

私、一人でしばらずーーーとここに居ました もののけ姫に出てくる森みたいな神聖な場所に感じ物凄いパワーを貰えた気がしました 落ち着く・・・・

この旅で一番感動した場所だったし本当に何故だか吸い寄せられる様に来た場所だったんですよね 不思議ですね 前世でご縁があったのかもしれませんね

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毛利家の祈願所であるお寺 清(すが)神社

毛利元就の長男が毛利家を継いで 次男が吉川家(乗っ取り)三男が小早川家(乗っ取り)を継いで戦国時代に毛利の血を絶やさない様に元就の言いつけを良く守り3人3家で力を合わせ家を守ったってところが毛利家に興味が沸くところなんですよね

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昭和31年に建てられた碑「三矢の訓跡」

建立場所は元就の居館跡と伝えられているとの事

 

歌手の吉川晃司って吉川家の末裔なのね 以前テレビ番組で本人が言ってましたね

吉川元春って強くて優しくてカッコ良いイメージだから似てるよね

小早川家って関ケ原で裏切り行為の為イメージ悪くなったけれどあれは仕方ないよね

可哀そうだよね・・・

皆物凄く頭が良くて強くて優しいイメージなんだけど・・

元就は意地悪で嘘つきで色々大変な人物だった色もある様ですが天下を取らず家を絶やさないって選択をし息子達にもその教えを守らせたって事は戦国時代の中では難し事だよな~って思いふけりながらまた広島迄バスに揺られて帰りました

 

 

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普段バッヂとか絶対買わないのだけれど購入です!! 

 

この1時間半のバスの中で乗車場所と降車場所が違うのに行も帰りも同じ時間のバスに乗り合わせた京都の某会社社長様と「何かの縁だ」と話しが弾みline交換して大きいミカンを2個頂いた。何か私と縁が有るらしい 前世で会っているんだろうと・・・

そうかもしれないですがミカン重いです( ´艸`) リュック一つで旅しているのでなるべく何も買わず荷物を軽くしていたのですが、行く先行く先でミカン頂くんですよ 前の日にやっと4個頂いたミカンを食べ終わったんですが大きいミカン2個だと全然減った感なくて笑うしかないと思った( ´艸`)でも旅はそういった有難い事もあるので食べきれなかったのですが北海道迄1個持って帰って食べました 美味しかった♪

 

旅の記事いつ終わるんだろう・・・・沢山有りすぎて終わる気がしません ではまた